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新聞配達の思い出

コラム

2020年06月01日

 

いまから28年前の8月のことである。当時、わたしは実家に暮らしながら、司法浪人を続けていた。要は、実家で経済的援助を受けながら、司法試験の受験を続けていたのである。過去5回の司法試験では、短答式の一次試験を毎回突破するものの、論文式の二次試験では毎回苦杯をなめていた。年齢も26歳となり、あと一歩で合格できるという思いを持ちつつ、合格するために自分に何が足りないのかを模索する日々であった。
そんなときに、朝日新聞のアルバイト配達員募集のチラシをみた。朝5時から7時まで、1日2時間、月給10万円であった。わたしは直感的に、これはいい、と思った。自分の課題と考えていたのは、精神的な「甘えの克服」だった。このアルバイトをすることで、わたし自身の精神面を鍛え直すことができるのではないかと思った。時間も1日、朝2時間であれば、受験勉強と両立できる。わたしは、誰に相談することもなく、その日のうちに、新聞店に面談に行き、翌日から新聞配達のアルバイトをすることになった。
朝は、4時30分に起床し、バイクに乗って5時までに新聞店に行き、社員が準備した新聞をバイクに積んで、配達にまわる。前半は、住宅街の戸建配達で、後半は、14階建てマンションの配達。マンション配達は、最初に14階、9階、5階に新聞の束を持って行き、上の階から順番に小走りに配達をした。配達は7時前には終わったが、体を動かすのは久しぶりで、ひどく疲労し、夏の暑さのために汗だくになっていた。
新聞配達には、休みがない。しばらくしてそのことを知った。そのうえ、天気は晴れの日ばかりではない。土砂降りの雨の日もあれば、台風の日もある。悪天候のなかの配達は辛い。
しかし、わたしの場合は、朝2時間だけのアルバイトなのでまだよかった。
社員の人達の仕事には驚いた。社員は、朝2時に出勤し、配達準備をして、3時から7時まで配達。その後、自宅に戻り、また午後2時に出勤し、夕刊の配達準備をして、3時から5時まで配達。その後、配達先の集金や勧誘をするというのである。社員の仕事は過酷だ。
あるとき、30代と思われる社員の先輩が覚醒剤で逮捕された。アルバイトのわたしに対しても、気さくに話しかけてくれる親しみのもてる人だった。そのときは分からなかったが、いまでは、その原因が過酷な労働による精神的ストレスにあることがよく理解できる。
季節が夏から秋、秋から冬に変わると、朝の5時は、真っ暗だ。気温は0度以下となった。極寒のなかでの新聞配達には耐えられなかった。
わたしは翌年1月いっぱいで新聞配達の仕事を辞めた。しかし、6ヶ月間やりきったので、悔いは無かった。その後は、司法試験の受験勉強に専念した。
その年の司法試験に最終合格したわたしは、2年間の司法修習を経て、弁護士になった。弁護士の仕事は忙しく、瞬く間に25年の時が過ぎた。新聞配達の思い出は遠い記憶である。

執筆者:山崎 徹

いまは交通事故事件、離婚事件、労働事件を主戦場としています。
コロナ感染拡大で多くの市民が、命や健康、仕事や暮らしに不安を抱いて日々の生活を送っています。弁護活動においては、人にやさしい癒やしの弁護が求められていると思います。